プラトンの名言と考え方 ── 話し手は?
外の世界のものを見るには、慣れることが要る。はじめは影がいちばん見やすく、次に水にうつる姿、そのあとで、ものそのものが見えてくる。
Συνηθείας δὴ οἶμαι δέοιτ’ ἄν, εἰ μέλλοι τὰ ἄνω ὄψεσθαι. καὶ πρῶτον μὲν τὰς σκιὰς ἂν ῥᾷστα καθορῷ, καὶ μετὰ τοῦτο ἐν τοῖς ὕδασι τά τε τῶν ἀνθρώπων καὶ τὰ τῶν ἄλλων εἴδωλα, ὕστερον δὲ αὐτά
『上のものを見ようとするなら、慣れることが要るだろう。はじめは影がいちばん見やすく、そのあと水にうつる人やほかのものの姿、のちには、ものそのものが見える』
プラトン『国家』第7巻 516a
話し手本の中で話しているのはソクラテスで、相手はプラトンのきょうだいのグラウコンです。洞窟の奥で壁に映る影だけを見てきた人が外へ出て、明るさに目を慣らしていくところです。
書いたころ『国家』は、研究者の多くが、プラトンの中ごろの本とみています。
よく聞く形このたとえは「洞窟の比喩」とよばれます。
考え方学ぶとは、心全体を明るいほうへ向け変えることで、そのためのわざがある、と続けます。洞窟のたとえの節へ
暮らし『国家』の書き出しは、何度も書き直したものが見つかった、という話が、のちの伝記集にあります。書くことの節へ
このページは、プラトンの本の言葉の場所を、1578年に出た3巻の全集の頁と段で書いています。「516a」は、その第2巻の516頁を a〜e に分けた a の段で、今の校訂本も余白にこの印を付けています。ギリシア語の字は、出典にあげた校訂本の頁の画像と照らし、直訳と訳は、このページが原文から作りました。
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プラトンは、前4世紀のアテナイで学園アカデメイアを開き、ソクラテスたちが語り合う形の本を書いた人です。本の中で話すのはソクラテスや客人たちなので、このページでは、言葉ごとにだれが話しているかをそえています。考え方の4節、暮らしの5節、できごとの5節に、原典のどこかと原文の言葉をそえています。
対話篇 ── 話すのは、本の中の人たち
プラトンの本の多くは、何人かが語り合う形の対話篇で、話すのは本の中のソクラテスや、アテナイやエレアから来た客人たちです。
プラトンが本の中に自分の名を書いたのは『ソクラテスの弁明』と『パイドン』だけだと、のちの伝記集(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.37)は書いています。
同じ伝記集によると、アリストテレスは、プラトンの文の書き方を、詩と散文のあいだにあると言いました。
『ソクラテスの弁明』34a Ἀδείμαντος, ὁ Ἀρίστωνος, οὗ ἀδελφὸς οὑτοσὶ Πλάτων
イデア ── ほんとうの形は1つ
『国家』第10巻で、ソクラテスの役は、ベッドや机は世の中にたくさんあっても、イデアはベッドに1つ、机に1つで、職人はそのイデアを見て作る、と話します。
図に正方形を描いて考えるときも、考えているのは描いた図の正方形より、正方形そのものだ、とも話しています(第6巻 510d〜e)。
『ティマイオス』では、ティマイオスが、神が永遠の動く似すがたとして時を作った、と語ります(37d)。
『国家』第10巻 596b Ἀλλὰ ἰδέαι γέ που περὶ ταῦτα τὰ σκεύη δύο, μία μὲν κλίνης, μία δὲ τραπέζης.
洞窟のたとえ ── 影から、外の光へ
『国家』第7巻で、ソクラテスの役は、洞窟の奥で、子どものころから壁に映る影だけを見てきた人たちを思いえがくように、とグラウコンに話します。
その1人が外へ出ると、はじめは影、次に水にうつる姿、そのあと物そのもの、夜には星と月、最後に太陽が見えるようになります(516a〜b)。
学ぶとは、心全体を、暗いほうから明るいほうへ向け変えることで、そのためのわざがある、と続けます(518c〜d)。
『国家』第7巻 514a ἰδὲ γὰρ ἀνθρώπους οἷον ἐν καταγείῳ οἰκήσει σπηλαιώδει
心の3つの部分 ── 考える心が先に立つ
『国家』第4巻で、ソクラテスの役は、心を、考える部分、気概(負けん気)の部分、ほしがる部分の3つに分けて考えていて、「魂の三分説」とよばれます(439d〜441a)。
考える部分が心全体のことを考えて先に立ち、気概がその味方になって助けるのがよい、と話します(441e)。
町でも、人がそれぞれ生まれつき向いた仕事をすることを正しさとし、知を愛する人が国を治めることが要る、と話していて、この考えは「哲人政治」とよばれます(433a・473c〜d)。
『国家』第4巻 441e τῷ μὲν λογιστικῷ ἄρχειν προσήκει, σοφῷ ὄντι
名前 ── 伝記集が伝える、もとの名
はじめは祖父の名をとってアリストクレスと呼ばれていた、とのちの伝記集(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.4)は書いています。
レスリングの先生が、がっしりした体つきからプラトンと呼んだという話のほか、文の広がりや、額の広さから、という話も同じ本にあります。
セネカも、友人ルキリウスにあてた手紙の第58通で、胸の広さから付いた名だと書いています。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.4 πρότερον Ἀριστοκλῆς ἀπὸ τοῦ πάππου καλούμενος
家 ── ソロンにつながる母の家
父はアリストン、母はペリクティオネで、母の家は、アテナイの法を定めたソロンの兄弟ドロピデスにさかのぼる、とのちの伝記集は書いています(3.1)。
伝記集は、きょうだいとしてアデイマントス、グラウコン、ポトネの名をあげ、ポトネの子がスペウシッポスだと書いています(3.4・4.1)。
『国家』は、ソクラテスが「きのう、アリストンの子グラウコンといっしょにペイライエウスへ下りて行った」と話し出す本で、グラウコンとアデイマントスが話し相手になります。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.4 ἔσχε δ’ ἀδελφοὺς Ἀδείμαντον καὶ Γλαύκωνα καὶ ἀδελφὴν Πωτώνην, ἐξ ἧς ἦν Σπεύσιππος
学び ── 読み書き、レスリング、絵と詩
読み書きはディオニュシオスという先生に、レスリングはアルゴスのアリストンに習った、とのちの伝記集は書いています(3.4)。
イストモスの競技会でレスリングをし、絵を学び、詩を書いたと言う人もいる、と同じ本にあります(3.4〜3.5)。
詩は、はじめに酒の神をたたえる合唱の歌、それから歌の詩と悲劇を書いたとされます(3.5)。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.5 καὶ γραφικῆς ἐπιμεληθῆναι καὶ ποιήματα γράψαι
書くこと ── 何度も直した書き出し
『国家』の書き出しは、何度も書き直したものが見つかった、という話が、のちの伝記集にあります(3.37)。
『法律』は蝋の板に書かれていて、オプスのフィリッポスがそれを写した、という話も同じ本にあります(3.37)。
元素(ストイケイオン)や、性質(ポイオテス)という言葉を、哲学で初めて使ったのはプラトンだ、とも書かれています(3.24)。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.37 πολλάκις ἐστραμμένην εὑρῆσθαι τὴν ἀρχὴν τῆς Πολιτείας
人がら ── ひかえめな若者と、馬
若いころはつつしみ深く、笑うときもひかえめだった、とのちの伝記集は書いています(3.26)。
馬に乗ったときはすぐに降り、馬の上で得意な気持ちになるのを用心した、と同じ本にあります(3.39)。
ペルシアの人ミトラダテスが、彫刻家シラニオンの作ったプラトンの像を学園にささげた、という話も同じ本にあります(3.25)。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.26 νέος ὢν οὕτως ἦν αἰδήμων καὶ κόσμιος
ソクラテスと ── 白鳥の夢と、燃やした詩
ソクラテスは、ひざの上の白鳥のひなが羽をのばし、きれいな声で鳴いて飛んでいく夢を見て、次の日に会ったプラトンを、その鳥だと言った、という話がのちの伝記集にあります(3.5)。
悲劇の競技に出ようとしていたプラトンは、劇場の前でソクラテスの話を聞き、書いた詩を火に入れた、と同じ本にあります(3.5)。
伝記集は、ソクラテスの話を聞くようになったのは20歳のころだと書いています(3.6)。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.5 Σωκράτης ὄναρ εἶδε κύκνου νεοττὸν ἐν τοῖς γόνασιν ἔχειν
旅 ── メガラ、キュレネ、イタリア
伝記集は、28歳のころ、ほかのソクラテスの仲間とメガラのエウクレイデスのもとへ移ったと書いています(3.6)。
そのあと、キュレネの数学者テオドロスと、イタリアのピュタゴラス派のピロラオスとエウリュトスをたずね、エジプトへも行った、と同じ本にあります(3.6)。
アリストテレスは、プラトンが若いころ、まずヘラクレイトスの考えを受けつぐクラテュロスに親しんだ、と書いています(『形而上学』987a)。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.6 εἰς Κυρήνην ἀπῆλθε πρὸς Θεόδωρον τὸν μαθηματικόν
シチリアへ3度 ── 島と火山を見に
プラトンは3度シチリアへ船で渡り、1度目は島と火山の火口を見るためだった、とのちの伝記集は書いています(3.18)。
第7の手紙には、40歳ほどで初めてシュラクサイへ行って若いディオンと出会い、のちにディオンにまねかれて、言葉だけの人だと自分に思われることを何より恥じて、また出かけたと書かれています(324a・327a・328c)。
この手紙をプラトン本人が書いたかどうかは、研究者のあいだで意見が分かれています。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.18 πρῶτον μὲν κατὰ θέαν τῆς νήσου καὶ τῶν κρατήρων
学園 ── 町の外の、木かげの運動場
アテナイにもどったプラトンは、町の外の、英雄ヘカデモスの名がついた木の多い運動場アカデメイアで過ごした、とのちの伝記集は書いています(3.7)。
学園にはプラトンが建てたムーサたちの社があり、アリストテレスたち多くの人が学び、その中にはラステネイアとアクシオテアの女性2人もいた、と同じ本にあります(3.46・4.1)。
プラトンのあとは、きょうだいポトネの子スペウシッポスが学園を受け継いだ、と同じ本にあります(4.1)。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』3.7 ἐν εὐσκίοις δρόμοισιν Ἑκαδήμου θεοῦ
アリストテレス ── 学園での20年
アリストテレスは17歳でプラトンのもとに来て、20年そこで過ごした、とのちの伝記集は書いています(5.9)。
アリストテレスは『形而上学』で、ソクラテスが「〜とは何か」と定めを問うたのをプラトンが受けつぎ、その答えになるものを「イデア」とよんだ、と書いています(987b)。
高校の倫理の学習指導要領の解説も、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの名を並べてあげています(97〜98頁)。
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』5.9 παραβαλεῖν δὲ Πλάτωνι καὶ διατρῖψαι παρ’ αὐτῷ εἴκοσιν ἔτη, ἑπτακαιδεκέτην συστάντα
プラトンの年表(9の出来事)
| 年 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 前428年ごろ | 0歳 | アテナイの人として生まれる 米国議会図書館の典拠・『哲学者列伝』3.1〜3.3 のちの伝記集は、生まれた日を、デロスの人がアポロンの生まれた日とするタルゲリオンの月の7日としています(3.2)。 |
| 前408年ごろ | 19か20歳 | ソクラテスの話を聞きはじめる 『哲学者列伝』3.6 伝記集は「20歳のころ」と書いています。 |
| 前399年 | 28か29歳 | ソクラテスの裁判の場にいて、申し出た罰金の保証人の1人になる 『ソクラテスの弁明』34a・38b |
| 前399年ごろ | 28か29歳 | ほかのソクラテスの仲間と、メガラのエウクレイデスのもとへ移る 『哲学者列伝』3.6 伝記集は「28歳」と書いています。 |
| 前388年ごろ | 39か40歳 | 初めてシュラクサイへ行き、若いディオンと出会う 第7の手紙 324a・327a 第7の手紙は「40歳ほど」と書いています。 |
| 前387年ごろ | 40か41歳 | アテナイの町の外のアカデメイアで教えはじめる 『哲学者列伝』3.7・4.1 |
| 前367年ごろ | 60か61歳 | 17歳のアリストテレスが学園に来る 『哲学者列伝』5.9・米国議会図書館の典拠(アリストテレス) アリストテレスが生まれた前384年(典拠)と、伝記集の「17歳」から数えた年です。 |
| 前367年ごろ | 60か61歳 | ディオンにまねかれ、2度目のシュラクサイへ行く 第7の手紙 327b〜328c・米国議会図書館の典拠・『哲学者列伝』3.18 |
| 前347年 | 80か81歳 | アテナイで亡くなる 米国議会図書館の典拠・『哲学者列伝』3.2・3.41 伝記集は81歳としています(3.2)。 |
年齢は、米国議会図書館の典拠が書く前428年ごろを生まれた年として数え、誕生日の前と後の2つを並べています。生まれた年を前427年や前429年とする資料もあります。
学園で教えはじめた年は、英語の数学史の事典の年です。2度目のシュラクサイ行きは、第7の手紙に、町を治める人が代わったあとでまねかれたとあり、代わった年を米国議会図書館の典拠でとって、前367年ごろとしました。そのほかの「ごろ」の年は、伝記集や手紙にある年齢から数えた年です。
第7の手紙は、プラトン本人が書いたかどうか、研究者の意見が分かれています。
出典(20件)
プラトン全集 第1巻 バーネット校訂の頁の画像(『ソピステス』『ソクラテスの弁明』)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
プラトン全集 第4巻 バーネット校訂の頁の画像(『国家』『ティマイオス』)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
プラトン全集 第5巻 第1部 バーネット校訂の頁の画像(『法律』)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
プラトン全集 第5巻 第2部 バーネット校訂の頁の画像(第7の手紙)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
プラトン全集 第1巻 ステファヌス版(1578年)の頁の画像(頁と段の番号のもと)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
プラトン全集 第2巻 ステファヌス版(1578年)の頁の画像(516頁・洞窟のたとえの頁と段)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第1巻 ヒックス校訂(1925年)の頁の画像(第3巻〜第5巻)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
フィロポノス アリストテレス『霊魂論』の注解 ハイドゥック校訂(1897年)の頁の画像(117頁)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
プラトンの対話篇と手紙 ギリシア語本文(バーネット校訂を底本にした電子テキスト)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』ギリシア語本文(ヒックスの校訂を底本にした電子テキスト)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
アリストテレス『形而上学』ギリシア語本文(電子テキスト・第1巻 987a〜b)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
セネカ 友人ルキリウスにあてた手紙 ラテン語本文(電子テキスト・第58通)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
米国議会図書館 典拠データ(Plato・生まれた年と没年)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
米国議会図書館 典拠データ(Socrates・生まれた年)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
米国議会図書館 典拠データ(Aristotle・生まれた年)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
米国議会図書館 典拠データ(Philoponus・6世紀に活動)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
米国議会図書館 典拠データ(シュラクサイを治めた人・2度目のシュラクサイ行きの年の元)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
英語の哲学事典の項目 Plato(2026年の改訂・§6・§7)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
英語の数学史の事典の項目 プラトンの学園(学園で教えはじめた年)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
文部科学省 高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 公民編(97〜98頁)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)
よくある質問
「洞窟の比喩」は、どんな話?
プラトン『国家』第7巻 514a〜518d で、ソクラテスの役がグラウコンに話すたとえです。洞窟の奥で壁に映る影だけを見てきた人が外へ出て、少しずつ目を慣らし、最後に太陽を見るようになります。学ぶとは心全体を明るいほうへ向け変えること、と話が続き、太陽は「善のイデア」のたとえとして語られます(517b〜c)。
イデア論を、わかりやすく言うと?
ベッドは世の中にたくさんあっても、ベッドのイデアは1つで、職人はそのイデアを見て作る、と『国家』第10巻 596b で話されます。アリストテレスは、目で見るたくさんのものは、イデアに「あずかる」ことで同じ名でよばれる、とプラトンの考えを説明しています(『形而上学』987b)。『メノン』81d では、探すことも学ぶことも、まるごと思い出すことだ、とソクラテスの役が話していて、「想起説」とよばれます。
ソクラテス・プラトン・アリストテレスの関係は?
生まれた年は、ソクラテスが前469年ごろ、プラトンが前428年ごろ、アリストテレスが前384年です(米国議会図書館の典拠)。プラトンは20歳のころからソクラテスの話を聞き、アリストテレスは17歳でプラトンの学園に来て20年過ごした、とのちの伝記集は書いています。年の順は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスです。
プラトンの『国家』は、どんな本?
正しさとは何かを、ソクラテスが、プラトンのきょうだいのグラウコンやアデイマントスたちと語り合う、10巻の対話篇です。心の3つの部分、洞窟のたとえ、知を愛する人が国を治める「哲人政治」の考えが出てきます。書き出しは何度も直されていた、という話が、のちの伝記集にあります(3.37)。
アカデメイアは、どんな所?
アテナイの町の外の、英雄ヘカデモスの名がついた木の多い運動場で、プラトンはここで教えました(『哲学者列伝』3.7)。アリストテレスは17歳でここに来て20年過ごし、プラトンのあとは、きょうだいポトネの子スペウシッポスが受け継いだ、とのちの伝記集は書いています(5.9・4.1)。学園の前に『幾何学を知らない者は入るな』と書かれていた、という話は、6世紀に活動したフィロポノスの注釈書に出てきます。
「正義とは強者の利益」は、プラトンの考え?
『国家』第1巻 338c で、トラシュマコスという人が言い出す説です。本の中では、ソクラテスの役がこの説に問いを重ね、正しさとは何かを確かめていきます。プラトンの本では、だれが話しているかで言葉の重みが変わるので、このページは、言葉ごとに話し手をそえています。