セネカの名言と暮らし ── 原文は何章何節?
Non exiguum temporis habemus, set multum perdimus.
時間は十分にある。わたしたちが多くをむだにしている。
『人生の短さについて』1.3
パウリヌスにあてて、時間の使い方を書いた本です。
考え方同じ本で、生きることは一生かけて学ぶものだとも書いています(7.3)。時間の節へ
暮らし老いてから、自分で植えたプラタナスが老木になったのを見て、どこを向いても老いのしるしが見えると手紙に書きました(書簡12.1〜2)。老いの節へ
原文の字は、1905年の校訂本の頁の画像で確かめました。校訂本の注によると、主な写本Aは perdidimus(むだにしてきた)と書いています。
「書簡13.4」は、ルキリウスへの手紙の第13通・4節のことです。原文の字は、出典の行の版の頁の画像か、その版を底本にした電子テキストで確かめました。訳はこのページの訳です。
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セネカは1世紀のローマで皇帝ネロの先生をつとめ、多くの手紙と本を書きました。考え方の4節と暮らしの9節に、原典の何章何節かと原文の言葉をそえています。
時間 ── 人生は、使い方で長くなる
『人生の短さについて』で、セネカは、人生は大きなことをやりとげるのに足りる長さがあり、短くしているのは使い方だと書きます。
友人ルキリウスへの最初の手紙でも、ほかのものはみな借りもので、時間だけがわたしたちのものだと書いています。
生きることは、一生かけて学ぶものだとも書いています。
書簡1.3 Omnia, Lucili, aliena sunt, tempus tantum nostrum est.
怒り ── いちばんの薬は、待つこと
きょうだいのノウァトゥスにあてた『怒りについて』で、セネカは、怒りの最初の勢いは強く、待てばおさまると書きます。
だから怒りには、すぐ許すことより、よく考えて決めるための時間をまず求めなさい、とすすめます。
怒りをいちどに消そうとするより、少しずつ取りのぞけば、ぜんぶに勝てるとも書いています。
『怒りについて』2.29.1 graves habet impetus primos; desinet, si expectat.
思いこみ ── どう耐えるかが大事
手紙の第13通で、セネカは、わたしたちをおびえさせるものは、本当に押しつぶすものより多いと書きます。
『摂理について』では、何に耐えるかより、どう耐えるかが大事だと書いています。
手紙の第107通には、哲学者クレアンテスの詩をラテン語に訳した5行があり、その最後の1行で、運命はついて行く人を導き、いやがる人を引っぱっていくと書いています。
書簡107.11 Ducunt volentem fata, nolentem trahunt.
友と人 ── 人のために生きる
友だちとは何でも相談しなさい、ただし、その人を友だちにする前によく考えなさい、と書いています。
自分のために生きたいなら、人のために生きること、とも書きます。
人はみな、一つの大きな体の手足だという言い方もしています。
書簡48.2 alteri vivas oportet, si vis tibi vivere.
生まれ ── おばに抱かれてローマへ
詩人マルティアリスは、スペインのコルドゥバ(いまのコルドバ)が誇る人として、2人のセネカの名をあげています。
母への手紙には、おばの腕に抱かれてローマへ来たことと、財務官(国のお金をあつかう役目)になるとき、ふだんはひかえめなおばが力を貸してくれたことを書いています。
長い病気をしたときも、おばの看病で治ったと書いています。
『ヘルウィアへの慰め』19.2 Illius manibus in urbem perlatus sum
紀元前の年の数え方は、何世紀?(世紀と紀元前)で見られます。
学び ── 少年のころも、年をとっても
少年のころ、哲学者ソティオンのもとで学び、その教えにひかれて肉を断つ暮らしを始め、1年たつころにはそれが楽しくなっていました。
ティベリウスが皇帝になったばかりのころ、父に頼まれて、もとの食事にもどしています。
年をとってからも5日続けて哲学の学校に通い、生き方は生きているかぎり学ぶもの、と書いています。
書簡49.2 Modo apud Sotionem philosophum puer sedi
家族 ── 母、きょうだい、母の孫
母ヘルウィアへの手紙で、2人のきょうだいのことを、1人は努力して高い役職につき、1人は静かな暮らしを選んだと書いています。
『自然研究』では、きょうだいの1人を、だれにでもやさしく、みなに好かれる人だと書いています。
母の孫マルクスのことは、見ればどんな悲しみも消える、とても人なつこい子だと書いています。
『自然研究』4a 序10 fratrem meum, quem nemo non parum amat
妻 ── パウリナのために、自分を大事に
熱を出したとき、妻パウリナは引き止めましたが、セネカは、ギリシャで熱を出してすぐ船に乗ったきょうだいにならい、郊外の家へ移りました。
自分の命を大事にしてくれる妻のために、自分を大事にすると書き、妻にこれほど大事に思われて、自分がもっと大事になるのは、何よりうれしいことだと続けています。
歴史家タキトゥスは、パウリナが夫のあとも数年生き、夫を思い続けたと書いています。
書簡104.2 ut illi consulam, mihi consulere
ネロのそばで ── 先生から相談役へ
49年、ローマへ呼び戻されて法務官になり、のちの皇帝ネロの先生になりました。
54年10月13日にネロが皇帝になると、ブッルスと2人で若い皇帝を支える役につきました。
62年には、仕えて14年目、ネロが皇帝になって8年目だと言って、退きたいと願い出ています。
タキトゥス『年代記』13.2 hi rectores imperatoriae iuventae
日付は当時のユリウス暦です。暦の切りかえは、空白の10日間で見られます。
毎日 ── 浴場の上の部屋と、冷たい水
浴場の真上に住み、運動する人のうなり声やボールを数える声まで、手紙に書きとめています。
以前は、元日にウィルゴ水道の水へ飛びこむほどの冷水浴好きでした。
年をとってからは、少年と走り、昼は乾いたパンだけ、眠りはごく短いと書いています。
書簡56.1 Supra ipsum balneum habito.
夜 ── 一日をふり返る
夜、灯りが消え、セネカの習慣を知る妻が黙ると、その日にしたことと言ったことを1つずつふり返った、と書いています。
この習慣は、哲学者セクスティウスが毎晩していたものです。
『怒りについて』3.36.3 totum diem meum scrutor factaque ac dicta mea remetior
老い ── 自分で植えた木が老木に
郊外の別荘で、自分で植えたプラタナスが老木になっているのを見て、どこを向いても老いのしるしが見えると書きました。
門のところにいた老人は、むかしセネカが人形をあげていた子、管理人の息子のフェリキオでした。
書簡12.2 ego illas posueram
旅 ── トンネルと車1台
ナポリへ向かう道は泥、トンネルはほこりでいっぱいで、その暗さに、こわさとはちがう心のゆれを感じたと書いています。
友人マクシムスとは、車1台に乗るだけの供と、身につけた物だけで2日旅をして、とても幸せだと書きました。
夜遅くアルバの別荘に着いたときは、パンの用意ができるのを待ち、おなかがすけばどのパンもおいしくなる、と書いています。
書簡57.3 sensi quendam ictum animi et sine metu mutationem
セネカの年表(11の出来事)
| 年 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 前4年ごろ | 0歳 | 生まれる 国立国会図書館・米国議会図書館の典拠 国立国会図書館の典拠は「4B.C.?」、米国議会図書館の典拠は「approximately 4 B.C.」と書いています。 |
| 39年ごろ | 41か42歳 | 父が亡くなる 『ヘルウィアへの慰め』2.4・米国議会図書館の典拠(父) 年は、米国議会図書館の典拠が書く父の没年です。 |
| 41年 | 43か44歳 | 息子を亡くす 『ヘルウィアへの慰め』2.5 年は、母への手紙に書かれた日数と、次の行の年から当てはめたもので、推測を含みます。 |
| 41年 | 43か44歳 | 島へ追放される ディオ『ローマ史』60.8.5・『ヘルウィアへの慰め』7.8 |
| 49年 | 51か52歳 | ローマへ呼び戻されて法務官になり、のちの皇帝ネロの先生になる タキトゥス『年代記』12.8・スエトニウス『ネロ』7.1 |
| 54年10月13日 | 56か57歳 | ネロが皇帝になり、ブッルスと2人で若い皇帝を支える役につく 『年代記』12.69・13.2 当時のユリウス暦の日付です。 |
| 55年か56年 | 57〜59歳 | 『寛容について』をネロにささげる 『寛容について』1.9.1 ネロが18歳を過ぎた年だと、本の中に書いています。 |
| 62年 | 64か65歳 | ネロに、退きたいと願い出る 『年代記』14.53〜56 |
| 62年か63年の2月5日 | 64〜66歳 | カンパニアで地震が起き、のちに『自然研究』に書き記す 『自然研究』6.1.2・『年代記』15.22〜23 日付は当時のユリウス暦です。年は62年と63年の2つの読みがあります。 |
| 64年 | 66か67歳 | 遠くの田舎へ退きたいと願い出て、部屋にこもったと伝えられる 『年代記』15.45 |
| 65年 | 67か68歳 | 皇帝ネロの命令を受けて亡くなる 『年代記』15.60〜64・スエトニウス『ネロ』35.5 |
年齢は、国立国会図書館と米国議会図書館の典拠が書く前4年を生まれた年として数え、誕生日の前と後の2つを並べています。紀元前1年の次の年は、紀元1年です。
生まれた年を前8年から前1年のあいだに置く研究もあり、その幅で数えると、65年には64歳から72歳になります。
出典(18件)
国立国会図書館 典拠データ(Seneca, Lucius Annaeus・生まれた年)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
米国議会図書館 典拠データ(Seneca, Lucius Annaeus・生まれた年)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
対話篇(『人生の短さについて』『怒りについて』『ヘルウィアへの慰め』ほか)ヘルメス編・1905年の頁の画像(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
ルキリウスへの手紙 第1巻 ギュンマー編・1917年の頁の画像(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
ルキリウスへの手紙 第3巻 ギュンマー編・1925年の頁の画像(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
ルキリウスへの手紙 ラテン語本文(ギュンマー編を底本にした電子テキスト)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
『人生の短さについて』ラテン語本文(ベイソア編を底本にした電子テキスト)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
『怒りについて』ラテン語本文(ベイソア編を底本にした電子テキスト)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
『摂理について』ラテン語本文(ベイソア編を底本にした電子テキスト)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
『ヘルウィアへの慰め』ラテン語本文(ベイソア編を底本にした電子テキスト)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
タキトゥス『年代記』ラテン語本文(フィッシャー編・1906年を底本にした電子テキスト)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
スエトニウス『ネロ』ラテン語本文(イーム編・1907年)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
マルティアリス『エピグラム』ラテン語本文(ヘラエウス編を底本にした電子テキスト)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
ディオ『ローマ史』60巻 英訳(ケアリー訳)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
『寛容について』1.9.1 ホシウス編・1900年の頁の画像(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
『自然研究』6.1.2・4a 序10 ゲルケ編・1907年の頁の画像(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
米国議会図書館 典拠データ(父の Seneca, Lucius Annaeus・没年)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
哲学の百科事典の項目 Seneca(ワゴナー著・生まれた年の幅)(2026-10-10 に見た文)(新しいタブで開きます)
よくある質問
セネカは何歳まで生きた?
亡くなったのは65年です。生まれた年は、国立国会図書館と米国議会図書館の典拠で前4年とされていて、そこから数えると67歳か68歳です。生まれた年を前8年から前1年のあいだに置く研究もあり、その幅で数えると64歳から72歳になります。
セネカはいつ、どこの人?
1世紀のローマの人で、皇帝ネロの先生でした。詩人マルティアリスは、スペインのコルドゥバ(いまのコルドバ)が誇る人として、2人のセネカの名をあげています。
セネカとネロは、どんな関係?
49年からネロの先生になり、54年にネロが皇帝になると、ブッルスと2人で若い皇帝を支えました。62年に退きたいと願い出て、そのあとは家で過ごすことが多くなりました。
『人生の短さについて』は、どんな本?
パウリヌスにあてて、時間の使い方を書いた本です。人生は大きなことをやりとげるのに足りる長さがあり、短くしているのは使い方だ、と書いています。
「愛されたいなら、愛しなさい」は、だれの言葉?
セネカが手紙の第9通で、哲学者ヘカトンの言葉として引いた句です。原文は si vis amari, ama です。