夏目漱石の名言と年表 ── 何歳のときの本や手紙?

やさしく言いかえると
わたしは猫です。名前は、まだこれからです
原文(今の字で書いています)
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
- いつ
- 1905年10月6日に出た本(明治38年10月6日)・本が出たとき満38歳
- どこで
- 小説『吾輩は猫である』の始まり。話しているのは猫
- のっている所
- 『吾輩ハ猫デアル』上編 1ページ(新しいタブで開きます)
- そのころ
- このころの漱石は、東京の大学と高等学校で、英語を教えていました
この小説が雑誌にのり始めたのは、この年の始めです
日付: 国立天文台「日本の暦日データベース」(2026-10-17 に見た文)で、生まれた日の和暦を西暦に直しました/原文: 国立国会図書館デジタルコレクションの本の画像から写し、漢字は今の字にしました/肖像の出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
漱石の年表(18のできごとと、6つの言葉)
| 年齢 | いつ・何があった |
|---|---|
| 満0歳 | 1867年2月9日(慶応3年1月5日) 江戸の牛込で生まれる。名前は金之助 |
| 満21歳 | 1889年1月(明治22年1月) 正岡子規と知り合う |
| 満23歳 | 1890年9月(明治23年9月) 帝国大学の英文科に入る |
| 満28歳 | 1895年4月(明治28年4月) 松山の中学校の英語の先生になる |
| 満28歳 | 1895年8月27日(明治28年8月27日) 子規が松山の下宿に来て、10月19日までいっしょにくらす |
| 満29歳 | 1896年4月(明治29年4月) 熊本の第五高等学校の英語の先生になる |
| 満29歳 | 1896年6月9日(明治29年6月9日) 熊本の家で、鏡子と結婚する |
| 満32歳 | 1899年5月31日(明治32年5月31日) 長女の筆子が生まれる |
| 満33歳 | 1900年9月8日(明治33年9月8日) 横浜から船で、イギリスへ向かう この年の5月12日に、文部省から、英語を学ぶ2年のイギリス留学を命じられています |
| 満33歳 | 1900年10月28日(明治33年10月28日) ロンドンに着く |
| 満35歳 | 1903年1月23日(明治36年1月23日) 日本に帰り、東京に着く |
| 満36歳 | 1903年4月(明治36年4月) 東京帝国大学と第一高等学校で、英語を教え始める |
| 満37歳 | 1905年1月(明治38年1月) 雑誌に『吾輩は猫である』をのせ始める 2月とする年表もあります |
| 満38歳 | 1905年10月6日(明治38年10月6日) 『吾輩は猫である』の上編の本が出る 本が出た日です |
| 満39歳 | 1907年1月1日(明治40年1月1日) 『坊っちゃん』の入った本『鶉籠』が出る 本が出た日です |
| 満39歳 | 1907年1月1日(明治40年1月1日) 同じ本『鶉籠』に、『草枕』も入る 本が出た日です |
| 満40歳 | 1907年4月(明治40年4月) 大学をやめ、新聞に小説を書く仕事につく |
| 満40歳 | 1907年6月(明治40年6月) 長男の純一が生まれる |
| 満40歳 | 1907年9月29日(明治40年9月29日) 東京・早稲田南町の家に引っこす 10月とする年表もあります |
| 満42歳 | 1909年5月19日(明治42年5月19日) 『三四郎』の本が出る 本が出た日です |
| 満47歳 | 1914年4月〜8月(大正3年4月〜8月) 新聞に小説『こころ』をのせる |
| 満47歳 | 1914年11月25日(大正3年11月25日) 学生たちの前で「私の個人主義」を講演する |
| 満49歳 | 1916年8月21日(大正5年8月21日) 若い作家2人に「牛のように…」と手紙を書く 手紙を書いた日です |
| 満49歳 | 1916年12月9日(大正5年12月9日) 東京・早稲田南町の家で亡くなる |
年表のできごとは、漱石の手紙と日記、国立国会図書館の「近代日本人の肖像」、1917年と1938年に出た伝記の本から取りました。言葉の行の本とページは、札を選ぶと上の「のっている所」に出ます。
やってみる
1問目 / 全3問
ここからは、漱石の考え方を、本人の小説と講演と手紙から3つ、暮らしと家族を9つ見ていきます。
『草枕』 くらしにくさから、詩と絵が生まれる
1907年1月1日に出た本『鶉籠』に入った小説『草枕』は、「智に働けば角が立つ」の文から始まります。
話し手は、人の世はくらしにくいと考え、そのあとに「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」と続けます(293ページ)。
この本が出たとき、漱石は満39歳でした。
自分の進む道を、掘りあてる
1914年11月25日、満47歳の漱石は、学生たちの前で「私の個人主義」という講演をしました。
道を見つけて、心の底から「ああここにおれの進むべき道があった。ようやく掘り当てた。」と言えたとき、はじめて安心できる、と学生たちに話しています(『金剛草』143ページ)。
この講演は、次の年の11月に出た本『金剛草』に入りました。
牛のように、進んでいく
1916年8月21日と24日、満49歳の漱石は、若い作家2人に手紙を書きました。
21日の手紙には「牛のようにずうずうしく進んで行くのが大事です」、24日の手紙には「牛になる事はどうしても必要です」とあります(『漱石全集』第13巻 663・669ページ)。
江戸の牛込に生まれる
1867年2月9日(慶応3年1月5日)、漱石は江戸の牛込で生まれました。名前は金之助です。
父は、馬場下町の名主でした。
家のあたりの町の名前「喜久井町」は、父が家の紋の「井桁の中に菊」からつけたそうだ、と漱石は1907年の話で話しています。
二つの家で育つ
漱石は、小さいころ、ほかの家の養子になりました。行った年は、資料によって明治元年から明治3年までちがいます。
「物心のつく八九歳まで」その家で育ち、そのあと生まれた家にもどった、と書いています(『硝子戸の中』87ページ)。
もどったあとも、しばらくは、自分の父と母を、祖父と祖母だと思っていた、とも書いています。
正岡子規と友だちに
1889年1月、満21歳の漱石は、正岡子規と知り合いました。
試験の前になると、子規にたのまれて、漱石がノートの中身をだいたい話してやった、と漱石は話しています。
1895年8月27日から10月19日まで、2人は松山の漱石の下宿で、いっしょにくらしました。
松山と熊本で、英語の先生
1895年4月、満28歳の漱石は、松山の中学校の英語の先生になりました。
小説『坊っちゃん』に出てくる「ぞなもし」の言葉を使う中学の生徒は、松山の生徒たちだ、と漱石は話しています。
次の年の4月からは、熊本の第五高等学校で英語を教えました。
熊本で、鏡子と結婚
1896年6月9日、満29歳の漱石は、熊本の家で鏡子と結婚しました。
鏡子は、前の日の6月8日に熊本に着いています。
漱石は、子規にあてた手紙に「衣更へて京より嫁をもらひけり」という句を書いています。
船で、ロンドンへ
1900年9月8日、満33歳の漱石は、英語を学ぶため、横浜から船でイギリスへ向かいました。
船では、お茶の時間も入れて、1日に6回の食事が出た、と手紙に書いています。
10月28日にロンドンに着き、1903年1月23日に東京へ帰ってきました。
子どもたちと、ひな祭り
1899年5月31日に長女の筆子が、1907年6月に長男の純一が生まれました。
1910年3月4日の手紙には、たんすの上にひな人形を飾り、もらったひなのお菓子もいっしょに飾った、と書いています。
家にいた猫
漱石の家には、猫がいました。
千駄木の家から引っこしたあとも、その猫は、ときどき前の家へ帰っていく、と漱石は1907年の話で話しています。
満47歳の1日
1914年3月の話で、朝は7時すぎに起き、夜は11時ごろにねるのがふつうだ、と話しています。
昼ごはんのあと1時間ほどうたたねをすることがあり、新聞の小説は毎日1回ずつ、1回分にたいてい3〜4時間かけて書きました。
油っこい物や、中国料理と西洋料理が好きで、お菓子も食べた、と話しています。
出典(16件)
国立天文台「日本の暦日データベース」(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館「近代日本人の肖像」夏目漱石(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『吾輩ハ猫デアル』上編(1905年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『鶉籠』(1907年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『三四郎』(1909年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『こゝろ』(1914年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『金剛草』(1915年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『漱石全集』第11巻 日記及断片(1919年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『漱石全集』第12巻 書簡集(1919年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『漱石全集』第13巻 書簡集(1919年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『漱石全集』別冊(1925年)の談話「僕の昔」「正岡子規」「文士の生活」(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション『硝子戸の中』(1933年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション 赤木桁平『夏目漱石』(1917年)の年表(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
国立国会図書館デジタルコレクション 小宮豊隆『夏目漱石』(1938年)(2026-10-17 に見た文)(新しいタブで開きます)
よくある質問
夏目漱石は、どんな人?
1867年に江戸で生まれ、松山と熊本で英語の先生をしたあと、1900年から国の留学でイギリスへ行きました。日本に帰ったあと、1905年に雑誌に『吾輩は猫である』をのせ始め、1907年からは新聞に小説を書く仕事をして、『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』『こころ』などの小説を書きました。
夏目漱石の代表作は?
年の順に、『吾輩は猫である』(1905年に雑誌にのり始める)、『坊っちゃん』と『草枕』(1907年1月1日に出た本『鶉籠』に入る)、『三四郎』(1908年に新聞にのり、1909年5月19日に本が出る)、『こころ』(1914年4月から8月まで新聞にのる)などがあります。どれも、このページの年表にのせています。
「智に働けば角が立つ」の意味は?
小説『草枕』の始まりの文です。頭で考えすぎると人とぶつかり、気持ちにまかせると流され、意地をはるときゅうくつになる。だから人の世はくらしにくい、という意味です。1907年1月1日に出た本『鶉籠』の293ページにのっています。
夏目漱石の家族は?
1896年に鏡子と結婚し、1899年に長女の筆子、1907年に長男の純一が生まれました。1910年3月4日の手紙には、ひな祭りにたんすの上へひな人形を飾ったことが書いてあります。
夏目漱石の千円札は、今も使える?
使えます。日本銀行の資料では、夏目漱石の千円券は1984年11月1日に発行が始まり、2007年4月2日に発行が止まりました。発行が止まったお札も、日本銀行は今も使えるお札にあげています。