調べて分かる道具箱

デール・カーネギーの名言 ── 何歳で出た本?

言葉の札

名前は、その人にとって、英語の中でいちばんここちよく、いちばん大切なひびきだと覚えておこう。

Remember that a man’s name is to him the sweetest and most important sound in the English language.

『How to Win Friends and Influence People』(1936年)第2部第3章

満47歳1936年11月4日(本が出た日)

夜の教室で教えながら、1933年には、ラジオで有名な人の意外な話を伝える番組を始めていました(新聞の予告)。

この章では、人が自分の名前をどれほど大切に思うかに、10歳で気づいた人の例として、大きな鉄の工場を建てたアンドリュー・カーネギー(デールとは別の人)をあげています。のちに組み直された刷では、「英語の中で」が「どの言葉の中でも」に替わっていて、1981年の改訂版も同じです。

デール・カーネギーの年表(17の出来事)

歳

満47歳

『人を動かす』(英語の題 How to Win Friends and Influence People)を出す

1936年11月4日・満47歳

満47歳は、1935年11月24日から1936年11月23日まで

デール・カーネギーの年表。年齢、日付、出来事
年齢いつ・何をした
満0歳

1888年11月24日

ミズーリ州の、メアリーヴィルの町の近くの農場で生まれる

日付は、1955年の新聞の記事と、米国議会図書館の典拠によります。11月23日とする資料もあります

満5歳

5歳のとき(1936年の本の書き方)

父が、50セントで子犬を買ってくれる

満13歳

13歳のとき(1948年の本の書き方)

父と豚を売りにセントジョゼフの町へ行き、はじめて路面電車を見る

1936年の本のはじめにある、別の人が書いた紹介では、12歳のときとしています

満16歳

16歳のとき(ミズーリ州の歴史の資料館の書き方)

家族で、ウォレンズバーグの町の近くの農場へ移る

その町の、先生を育てる州立の学校に、農場から馬で通いました(1936年の本の紹介・1955年の新聞の記事)

満19〜20歳

1908年

ネブラスカで、通信講座を売る仕事につく

年は、ミズーリ州の歴史の資料館の人物紹介によります。学校を卒業してからとする記事と、卒業の前に学校を離れたとする紹介があります

満22〜23歳

1911年

ニューヨークの演劇の学校に入る

年は、ミズーリ州の歴史の資料館の人物紹介によります。その前に、オマハで、ベーコンやせっけんを売る仕事をしていました

満23〜24歳

1912年

ニューヨークの大人のための夜の学校で、話し方を教え始める

1926年の本の序文と、1936年の本の序文によります

満26歳

1915年3月5日

話し方の本を、2人で書いて出す

本の題は『The Art of Public Speaking』です。名字のつづりは Carnagey でした(著作権の登録の記録)

満37歳

1926年10月22日

話し方の本『Public Speaking』の第2巻を出す

第1巻は9月9日に出ています。題のページの名字のつづりは Carnegie です(著作権の登録の記録)

言葉の札:熱意で話す

満43歳

1932年2月9日

リンカーンの伝記『Lincoln the Unknown』を出す

序文には、リンカーンが暮らしたイリノイの土地へ行って書いた、とあります

満44歳

1933年8月20日

ラジオで、有名な人の意外な話を伝える番組を始める

日付は、その月の3日の新聞の予告によります

満47歳(1935年11月24日から)はここ
満47歳

1936年11月4日

『人を動かす』(英語の題 How to Win Friends and Influence People)を出す

日付は、著作権の登録の記録によります。新聞には11月5日と書いた記事もあります

言葉の札:わかろうとし、ゆるす・名前のひびき・小さな進歩をほめる

満48歳

1937年3月19日

ラジオで話した伝記を集めた『Five Minute Biographies』を出す

日付は、1964年の著作権の更新の記録によります。1つの話を5分で読めるように短くした伝記の本です

満55歳

1944年11月5日

オクラホマ州のタルサで結婚する

講演に行ったタルサで知り合った人です(1955年の新聞の記事)

満59歳

1948年6月3日

『道は開ける』(英語の題 How to Stop Worrying and Start Living)を出す

日付は、著作権の登録の記録によります

言葉の札:レモンをレモネードに

満62〜63歳

1951年

娘が生まれる

1955年の新聞の記事と、ミズーリ州の歴史の資料館の人物紹介によります

満66歳

1955年11月1日

ニューヨークで亡くなる

日付と場所は、米国議会図書館の典拠と、その日の新聞の記事によります

英文は本からの引用で、訳はこのページでつけました。本が出た日は米国の著作権の登録の記録から、満年齢は1888年11月24日の誕生日から数えています

やってみる

1問目 / 全3問

1936年11月4日に『人を動かす』が出たとき、デールは満何歳?

デール・カーネギーが本に書いた考え方を4節、生まれてからの暮らしと仕事と家族を9節で読みます。どの節にも、もとになった本や資料の名前を書いています。

相手に関心をもつ

1936年の『人を動かす』の第2部第1章で、デールは、友だちをつくる近道は、自分に関心をもってもらうことより、相手に関心をもつことだと書きました。

同じ部の第3章では相手の名前を覚えて呼ぶことを、第4章では聞き上手になって相手に話してもらうことを、すすめています。

本には、話し方の教室に来た大人たちが、実際にためした話がたくさん出てきます(1948年の本の序文)。

相手の目で見る

第1部第3章で、デールは、夏にメイン州で釣りをするとき、えさには自分の好物のいちごとクリームより、魚の好物のミミズを選ぶ、と書いています。

人と話すときも、相手が何をほしいと思っているかから考えよう、というたとえです。

第3部第8章でも、相手の側に立って考えることを、人に考えをわかってもらうための規則の1つにしています。

小さな「できた」をほめる

第1部第2章でデールは、人が深く求めているものの1つは、認められることだという考えを、ほかの人の言葉を引きながら書きました。

第4部第6章では、ほんの少しの進歩も見つけて、心をこめてほめることをすすめています(札「小さな進歩をほめる」)。

第1部第1章では、人をわかろうとし、ゆるすことの大切さを書いています(札「わかろうとし、ゆるす」)。

今日を区切り、レモンを作りかえる

1948年の『道は開ける』の第1部第1章で、デールは、心配とつきあう1つめの方法として、今日一日を区切って生きることを書きました。

その言い方は、ある医者が学生に向けた講演の言葉から借りたものだと、本の中で書いています。

第4部第17章では、すっぱいレモンのようなつらいことが来ても、それを作りかえる工夫をすすめています(札「レモンをレモネードに」)。

ここからは、ミズーリ州の農場で生まれてから、夜の教室で教え、本を書き、家族をもつまでの道のりです。本人の本と、米国議会図書館の典拠と新聞の画像、ミズーリ州の歴史の資料館の人物紹介から書いています。

川のそばの農場

デールは、1888年11月24日、ミズーリ州のメアリーヴィルの町の近くの農場で生まれました(米国議会図書館の典拠・1955年の新聞の記事)。

父は農場で働き、母は前に村の学校の先生をしていました(1948年の本 第19章)。

近くの川はよくあふれ、家にお金が入るのは、年に1回、豚を売るときだったと書いています(同)。

子犬と、はじめての路面電車

5歳のとき、父が50セントで、黄色い毛の子犬を買ってくれました(1936年の本 第2部第1章)。

夕方、帰ってくるデールの声がすると、子犬は丘をかけ上がって迎えに来たと書いています(同)。

13歳のときには、父と豚を売りにセントジョゼフの町へ行き、はじめて路面電車を見ました(1948年の本 第28章)。

馬で3マイル

16歳のころ、家族はウォレンズバーグの町の近くの農場へ移りました(ミズーリ州の歴史の資料館の人物紹介)。

町の下宿代は1日1ドルで、デールは農場に住んだまま、毎日3マイル(約5km)を馬で、先生を育てる州立の学校へ通いました(1936年の本の紹介・1955年の新聞の記事)。

干し草の上の練習

学校では、スポーツより、話す大会で勝つことに打ちこみました(1936年の本の紹介・1955年の新聞の記事)。

馬に乗っているあいだも、牛の乳をしぼるあいだも練習し、納屋の干し草の上に立って、はとに向かって話したこともあります(1936年の本の紹介)。

やがて大会でつぎつぎ勝つようになり、ほかの学生に話し方を教えるようになりました(同)。

売る仕事から、舞台へ

学校のあと、ネブラスカで通信講座を売り、そのあとオマハの食肉の会社で、ベーコンやせっけんを売りました(1936年の本の紹介・1955年の新聞の記事)。

2年で、受け持ちの道すじを、29の道すじの中で1番にしています(1936年の本の紹介)。

そのあとニューヨークへ出て演劇の学校に入り、旅回りの芝居で医者の役を演じました(同)。

夜の教室

1912年、ニューヨークの大人のための夜の学校で、話し方を教え始めました(1926年と1936年の本の序文)。

給料のかわりに、もうけの分け前を受け取る約束で教え、教室では毎回、生徒のひとりひとりが前に出て話しました(1955年と1925年の新聞の記事)。

1926年の『Public Speaking』は、その教え方をまとめた本で、章の終わりに、話を信じてもらうためのすすめを並べています(札「熱意で話す」)。

教室から生まれた本

『人を動かす』は、教室に来る大人たちの体験から育った本で、はじめは自分の教室の教科書として書きました(1948年の本の序文)。

1933年には、ラジオで、有名な人の意外な話を伝える番組を始めています(新聞の予告)。

放送で、『若草物語』を書いたオルコットの住んだ町の名を言いまちがえたときは、次の日曜の放送でわび、怒った手紙をくれた人には、電話で手紙のお礼を言いました(1936年の本 第3部第9章)。

結婚と、娘

1944年11月5日、講演に行ったオクラホマ州のタルサで知り合った人と結婚しました(1944年と1955年の新聞の記事)。

その日は、『人を動かす』が出てちょうど8年たった日だと、新聞は伝えています(1944年の新聞の記事)。

1951年に娘が生まれました(1955年の新聞の記事・ミズーリ州の歴史の資料館の人物紹介)。

名字のつづりと、もう1人のカーネギー

1915年の本では、名字のつづりは Carnagey で、1926年の本では Carnegie です(著作権の登録の記録)。

1925年の新聞には、記事によって2つのつづりが出てきます(米国議会図書館の新聞)。

大きな鉄の工場を建てたアンドリュー・カーネギーは、つづりが同じ別の人で、デールは『人を動かす』の名前の章で、その人の話を書いています。

出典(22件)

米国議会図書館の典拠「Carnegie, Dale, 1888-1955」(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

国立国会図書館の典拠(著者の名)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国著作権局『Catalog of Copyright Entries』1915年(The Art of Public Speaking の登録)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国著作権局『Catalog of Copyright Entries』1926年(Public Speaking 第1巻・第2巻の登録)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国著作権局『Catalog of Copyright Entries』1932年(Lincoln the Unknown の登録)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国著作権局『Catalog of Copyright Entries』1936年(How to Win Friends and Influence People の登録)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国著作権局『Catalog of Copyright Entries』1948年(How to Stop Worrying and Start Living の登録)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国著作権局『Catalog of Copyright Entries』1964年の更新の記録(Five Minute Biographies)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

Dale Carnagey, J. Berg Esenwein『The Art of Public Speaking』(1915年)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

Dale Carnegie『Public Speaking: A Practical Course for Business Men』第2巻(1926年)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

Dale Carnegie『Lincoln the Unknown』(1932年)の書誌(米国議会図書館)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

Dale Carnegie『How to Win Friends and Influence People』(1936年)の書誌(米国議会図書館)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

Dale Carnegie『Five Minute Biographies』(1937年)の書誌(米国議会図書館)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

Dale Carnegie『How to Stop Worrying and Start Living』(1948年)の書誌(米国議会図書館)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

国立国会図書館デジタルコレクション『人を動かす』(1937年10月・日本語の訳)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

国立国会図書館の書誌『人を動かす』(1999年10月の新装版・日本語の訳)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国議会図書館の新聞の画像(1955年11月1日・ワシントンの新聞 A-18ページ)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国議会図書館の新聞の画像(1944年11月6日・ノースカロライナ州の新聞 3ページ)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国議会図書館の新聞の画像(1925年7月26日・ワシントンの新聞 22ページ)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国議会図書館の新聞の画像(1925年10月25日・ワシントンの新聞 22ページ)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

米国議会図書館の新聞の画像(1933年8月3日・ワシントンの新聞 29ページ)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

ミズーリ州の歴史の資料館の人物紹介(英語)(2026-10-18 に見た文)(新しいタブで開きます)

よくある質問

デール・カーネギーは何をした人?

1888年にアメリカのミズーリ州の農場で生まれ、1912年からニューヨークの大人のための夜の学校で、話し方を教えた人です。1936年に『人を動かす』、1948年に『道は開ける』を書きました。

アンドリュー・カーネギーと同じ人?

別の人です。大きな鉄の工場を建てたアンドリュー・カーネギーとは名字のつづりが同じですが、デールの1915年の本のつづりは Carnagey でした。デールは『人を動かす』の名前の章で、アンドリュー・カーネギーの話を書いています。

『人を動かす』の名言は、どの章にある?

このページの3つの言葉は、1936年の本の第1部第1章・第2部第3章・第4部第6章にあります。どれも英語の本から、このページで訳しました。

『人を動かす』の版の違いは?

英語の本には、1936年の版と、1981年の改訂版があります。改訂版では、第1部第1章の終わりに、人を責める言い方をひかえる、という「原則1」が足されています。名前の章の「英語の中で」は、のちに組み直された刷で「どの言葉の中でも」に替わっています。日本語の訳は、1937年10月に出ています(国立国会図書館の書誌)。1999年10月に出た新装版の訳について、同じ館の書誌は、もとの英語の本を改訂版としています。

「レモンがあるなら、レモネードを作ろう」はデールの言葉?

その形の言葉は、1948年の『道は開ける』の第17章の題で、本の中では別の人の助言として紹介されています。同じ章でデールは、運命にすっぱいレモンをわたされたら、レモネードを作ってみよう、と自分の言葉で書いています。

デール・カーネギーの誕生日は?

1888年11月24日です。ミズーリ州の農場で生まれました。11月23日とする資料もあります。